現在、カメラマン向けの、ポージング指導講座が数多く存在します。
モデルへ的確な指示を出すために、自身の求めることをモデルに伝えるために、講座へ参加される方、女性誌の購読する方、またある方は人体模型を購入しポージングを研究しているとおっしゃていました。

私は学ぶ人が好きです。
アマチュアだから、趣味だから。素人だから。
楽しければいいから。
そのすべてを否定はしませんが、
アマチュアでも趣味でも素人でも、学び努力し、技術を上げ、そうしてそれを楽しむ。
そういった方々が好きです。

マリリモンローの言葉ですが
「創造力は人間性から生まれる」
私はこの言葉を信じています。

さて、前回「ポージングひとつで企画物」という内容を書かせて頂き、次は「私はカメラマン向けのポージング講座はほぼ無意味だと思っている」ということ書きたいと思いました。。

信念を持って講座を開かれている講師の方々には大変失礼な発言であり、またそこで学ぶ方々にも失礼な発言であることは自覚しています。

それでも、私は言わずにはいられません。
ポージングを学ぶべきはモデルである、と。

前回モデルを野球選手に例え、新人選手にボールを渡し投球させても、身体も技術も訓練されていない状態での投球は中途半端なものになると書きました。
もちろん、誰もがその状態から始まり、そこから訓練を重ね、求めるられるボールを投げられるようになっていくものです。はじめから出来る人なんていません。

しかしながら、身体作り技術の訓練、そしてあらゆる芸術と呼ばれる分野のものに触れて学ぶこと、これらを疎かにしている撮影会モデルが多すぎると感じているのが本音です。

カメラマンが時間とお金を使い、ポージングを学ぶ傍ら
「ポージングとかやったことないけど可愛く撮られたい。お小遣いも稼ぎつつ。」
撮影会で普通に耳にする言葉です。

撮影会は近年乱立しておりますし「撮影会モデル」「フリーモデル」も一気に増えました。
それはSNSの写真発信の盛り上がりによるものだと思っていますが

自撮りの自己承認欲求を満たす個人的作業
カメラマンとモデルという二人の人間が向き合う共同作業はまったく別物です。
それがごっちゃになっているように思えてなりません。

モデルとカメラマン。共同作業をする者同士でありながら、なぜ片方は多額の投資をし、片方は欲求を満たしながら金銭も得られるという関係が成り立つのか。

答えは簡単で
若さと美しさを持った女は、存在するだけで投資を受けることが出来るというのが現実だからです。

ポージングが出来なかろうと、意図的な表現が出来なかろうと
ニコリと笑うだけで価値のあるモデルは存在するし、それを許すカメラマンも存在する。
だから、カメラマンがポージングを学び、カメラマンがモデルにポージング指導し、カメラマンがモデルにお金も支払う。
これが成り立つわけです。
キャバクラと同じです。
たぶんこんなこと、私が書かなくても多くのカメラマンが気が付いていることでしょう。

もちろん、もう表情を作ろうが作らなかろうが、ただ存在するだけで表現者でしかない天才的なモデルも存在しますが、そのレベルですと撮影会云々の前に、芸能業界がその才能を確保していくのが大半ですので、私が書いているのはあくまで撮影会モデルの話です。

容姿は残酷で、神様は私たちに平等な骨格、皮膚、容姿を与えなかった。神に選ばれた骨格、皮膚、容姿を持った人間だけが立てるステージがある。
でも、神に選ばれなかった人間が、そこに近づこうとすることは醜いことなのでしょうか?私はそうは思いません。
学ぶこと、求めること、努力することは醜いことではないはずです。絶対に。

私「よさの麻由」は何を売っているかと問われたら、私は自身が学び続けてきた技術と経験と答えます。
私は神に選ばれなかった人間ですので、私が学びに費やした時間は約30年、費用は一千万を超えます(その多くを両親に感謝しています)。
その自己投資を元にいま、この仕事をしている。
これは自慢ではなく、そう自分を叱咤して、なんとか立ち続けているというのが本音です。私だって神に選ばれたかった。今でも選ばれたい。そして36歳の女に撮影会モデルは甘い仕事ではありません。

 

さて、本題に戻ります。

カメラマンがポージング技術を学ぶことがまったくの無意味とは言いません。
肉体に対し無理な指示を出さない、というのは信頼関係においてとても重要です。
肉体に対し無理な指示、というのは身体を壊すような姿勢や、長時間の無理な姿勢の指示のことですが、例えるなら、モデルが逆光だと写真がうまく映らないだろうけど順光ならきれいに映ると思い込んで、順光の難しさについては知らないことが多いのと同じで、それぞれ経験がないから知らないという知識は非常に多い
そういった意味でポージングを知ることは非常に有効ですが、ポージングの指導となると、私は無理だと思います。

まっすぐ立つ、片足で立つ、ラインを強調する、顔の角度、目線の方向

この辺に関しては
「まっすぐ立って」「片足で立って」「もう少し胸を強調して」「顎を少し引いて」「目線はあっちに」
とか、この言い方の指示でほぼ十分なはずで、この言葉にまったく反応できないようであれば、その場でカメラマンが指導をし納得いくポージングにたどりつくことは難しいと私は思います。

野球で投球の指示
「まっすぐ投げて」「カーブで」「もう少し速く」「少し低めに」「ややあっちよりに」
ボールをほとんど投げたことない人間に、この指示を出しても反応出来なくても当然で、その場で教えて即出来るようにならないのと同じということです。

場合によってはミリ単位での動きの要求もありますが、それは修正的な指示で、土台はモデルのほうで反応して答えていなければ修正のしようもない。

だから、いくらカメラマンがポージングとその指示の仕方を学んでも、モデルの側に応える技術がなければ、共同作業は進まない

しかしながらその不平等さを許しているのが、今の撮影会の現状だと思います。

撮影会モデル、フリーモデルの多くは学びが足りなさすぎる。
カメラマンはそれを許しすぎている。

これが私が「カメラマン向けポージング指導講座」がほぼ無意味だと思っている理由とあまり良い印象をもっていない理由です。

ポージング指導技術よりも、モデルとカメラマンの思考はどれだけずれていて、そこをすり合せるにはどういったコミュニケーションをとることが最適なのかを学ぶことのほうが重要だと私は思います。さっきの、肉体に対し無理な指示を出さないと同じように、精神に対し無理な指示を出さない、含め。
とにかく、人間同士が向き合う作業ですから。

それでは、今日もお読みいただきありがとうございました。