「かわいい」

かわいいは正義
かわいいは絶対的

「かわいい」の定義は
小さくて・丸くて・ぎゅっと真ん中に寄ってるもの
という一説があります

つまりは生物学的に「赤ちゃん」なのですが
人間もそうですし、ひよこなんかはそれが顕著ですね。
(ひよこ→にわとり の変化には驚くべきものがあります。)

「かわいい」は生物が庇護されるために備えている能力であり、
小さくて、丸くて、ぎゅっとよって
「危害を加えたりできませんよ。守ってもらわないと生きていけませんよ。」
を他者に訴え、庇護され生き延びる。

もうこの時点で「かわいいって…」と背筋がゾクゾクするのですが、
その「かわいい」を求め「かわいい」に奔走する日本女子の生命力には、世界が「Kawaii」カルチャーに衝撃をうけるのにも納得がいきます。

以前、アメリカ、ドイツ、イギリス、オーストラリア、マレーシア女子と、「女子モテ」6カ国会談を行ったことがあるのですが
『cuteはあんまり価値がない。sexyで評価される。』
というのが世界での女子モテの認識のようで、日本の『Kawaii』は特別なんだと知っことは衝撃でした。

日本代表としては「とりあえず日本国内では、かわいー、って単語なんにでも応用きくから覚えておいた方がいい」と発言してきましたが、あながち間違ってはいないと思います。

 

さて、もう10年以上前放送の「情熱大陸」で、モデルの押切もえさんが

かわいくなければ生きてはいけない
かわいいだけでは生きてはいけない

そう述べていたのが印象的です。

かわいいと生きるがリンクしている現代の日本女性の叫びを代弁したかのような言葉だと私は思います。

さて、その「Kawaii」を根本から揺るがすような、それでいて女ならば大半が、『ああ、それわかる』といった話。

「あの子、かわいいものが好きって言ってる自分をかわいいって思ってるよね」

分かりやすくいうなれば、本当にキティちゃんが好きでキティグッズを集めている女より、キティグッズを集めている私ってかわいい、の女のほうが多いという理論なのですが

キティちゃんはちょっと特殊だとしても、女の言う「かわいいくて好き」は本当にそのものが「かわいいから好き」なのか、「かわいくて好きって言ってる自分が好き」なのか非常に分かりにくい。

というのも、自分自身それが混乱して、すでに分からなくなっていることも多いからです。
なぜなら、かわいいは生きるにリンクしているので思考すら支配されている。

かわいくなければ生きてはいけない。

かわいいの圧力はすごい。
そして「かわいい」は「美しい」より身近で、なんか手に入りやすい感覚もあるし、何より「かわいい」はモテる。
『美人』『セクシー』は怖がられることがあるのに対し、かわいいはモテる。かわいいはモテます。モテますよね?

モテたいって、生存本能の一つだと思うので、日本で生きていくならやっぱり「かわいい」は生きるための能力なわけです。

しかしながら

本当に、小さくて、丸くて、ぎゅっと寄りたいのか、この国際化が進み、自己主張も美徳の一種になってきた今、縮こまることを本当に望んでいるのか

大ヒットカメラアプリのsnowって、小さくて、丸くて、ぎゅっとよった、この3点を抑えて画像加工がおこなわれていると思うのですが、
小さくて、丸くて、ぎゅっとならずに

大きく、角があって、ぐっとひろがって
そういう風でも堂々とに写真に写れたら

それはとても
存在感があって、生き物であって、しなやかで、生物として美しいのことには本能的には気が付いていて。

本当は

ゆるふわ~
きらきら~

じゃない、

生きている、食いしばって立っている、そういう私を見て、写して!生き様を記録して!

みたいな、それって、「Kawaii」以上に扱いがめんどうな女という生き物のエゴイズムだと思うんですが、それを求めているモデルって多いですね。そういうのって写真越しに伝わってくるし、すごくよく分かる感情でもあります。
狂的とか、あとは涙を流す表現とか、その姿を晒したい、記録されたいという女のエゴイズムってものすごいパワー。
ちなみに狂的な内面をみせているように演じられるモデルって本当に多いですよ。内面をさらけ出せてる感って自分に酔えるから。撮れたつもりで撮らされることに注意です。

かわいくなければ生きてはいけない。

でも

かわいいだけでは生きてはいけない。

かわいいだけじゃない写真を「撮られる側」のモデルたちが求めている感覚。

かわいいだけでは生きてはいけない。
超現実主義の我々女たちがいかにそれを認識し、それでも
かわいくなければ生きてはいけないと戦っているか。

つまりは
かわいく撮ってほしいです
でも、かわいいだけでは満足できないです。

そういうワガママな生き物なんですね。
モデルがというより、女ってそういう生き物な気がします。

ただ、私が伝えたいのは
必死でまとっているKawaiiをはぎ取って、素顔をさらさせて、それを写せということでは決してないです。「内面をうつしたい、内面とは?」の記事で書きましたが、それはそもそも素顔でもなんでもないし、無遠慮な無粋な行為です。

完璧なるKawaiiを共に作り上げるか。
Kawaiiを取り払っても大丈夫だと、信頼関係の元、共に模索していくか。
(これは本当に共に模索したものであるのか、撮らされているものではないか。注意が必要です。)

カメラマンの満足とモデルの満足違いは、このかわいく撮って欲しいです。でも、かわいいだけでは満足できません。という女の性の影響が大きいと思っています。

と、これだけ書いていても、私はかわいいって言われると普通に嬉しいです。

ね、女ってめんどくさいですね!!!

今日もお読み頂きありがとうございました。

よさの麻由